かぎりあれば 吹ねど花は 散るものを 心みじかの 春の山風
蒲生氏郷は私の好きな戦国武将の1人です
戦国時代の表の歴史にはあまり登場しませんが、信長の戦いにはほとんど参戦していますし、柴田勝家の与力、秀吉の部下となるなど歴史の中心に近い位置で歴史を見ていたと思います。
もともとは、近江の国の六角氏の家臣であった蒲生家は父の賢秀が織田家に降る際に人質として氏郷を信長に差し出しました。
信長は氏郷を気に入ったみたいで娘の冬姫を与え婿養子にしました。
信忠とか信考、信雄などと義理の兄弟だったんですね。。
冬姫さんは美人だったのか、信長お父さんが怖かったのか側室はいませんでした。
各地を転戦しなら本能寺の変を地元の日野で迎えます。
父の賢秀が安土城をまかされており、光秀の配下が攻め込むと日野城で迎え撃とうとします。結局、安土城は焼かれて山崎の合戦で光秀は秀吉に破れてしまいます。
その後は父から家督を継ぎ秀吉、秀長などと各地を転戦。
伊勢松ヶ島12万石で入国すると地名を「まつさか」と改め、松坂城を作ります
その後も小田原攻めなどにも従軍します。
その後、秀吉より奥州仕置として91万石で会津に移封し鶴ヶ城で伊達政宗などの曲者な諸侯の監視に当たります
そして城下町の名前を「若松」とします
氏郷は松が好きだったみたいですね。移封されるさきの地名に松を付けています
その頃から、体調が悪くなり3年後には40才でなくなります
タイトルの歌は氏郷の辞世の句です。
氏郷のことが好きになった理由はこの句に心ひかれたということです
(花の一生は限りがあるのだから、風が吹かなくてもいずれ花は散るというのに。どうしてせわしなく春の山風は吹くというのだろうか。)
信長の娘を娶って、文武の才を発揮しいまにも残る松のつく地名も残した武将がこんな最後の句を読むのはなんとも無念さも感じるところです
死因は秀吉の毒殺説や直腸がんなど様々な説がありますが、あの信長様に気に入られて婿養子にまでなるとは相当の人物だったんでしょうね。
子孫は秀行→忠知(伊予松山藩)断絶となります
短い人生を信長、秀吉と第一線で活躍したがあまりメジャーではない氏郷。
そんな氏郷は私が好きな武将の一人です~
PHP文庫で本も出ているので気になる方は読んでみてください~
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今日は日銀はETF買わないんかい~
期待してレバ買っちゃったじゃないですか。。
先週はあんなにガンガン買って私のダブルインバを攻めててたのに。。
氏郷に戦の駆け引きを教えてもらいたいな~
では、南無~